同時代を生きる

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投稿者:tohosuzu

熱帯夜の夜を乗り切る快適睡眠のすすめ

夏の熱帯夜を快適に乗り越える3つのコツ

 

快適睡眠

快適睡眠3つのコツ:
1・室温と湿度について
2・寝室の色について
3・入浴について

 

 

1・室温と湿度について

部屋の温度
寝室のエアコンの設定温度は26度を目安に設定する
裸で眠る場合などは、28度から30度でもOKです。
一晩中エアコンを付けたくない場合でも、
寝入りばなから、約3時間はエアコンをつけるようにする。
これが、快眠の目安です。

湿度
快眠は湿度は50から60%を目安にすること
湿度計を設置して、測るようにすること

 

2・寝室の色について

「青色」なおどの寒色系にすると涼しく感じます。
青色のイメージが、水・海・・は冷たいという感覚を得られる。
暖色系の部屋と青色系の寒色系の部屋の温度では、
約3度の差があるといわれています。

 

3・入浴について

少しぬるめのお湯に10分ほど漬かること。
眠る前にお風呂に入ると体温が上がり、
その後チア音が下がります。
そのため、眠気が強く寝付きが良くなります。
38度から40度のぬるめのお湯に10分から20分漬かるようにする

 

 

☆シャワー

クナイプ自然療法、水療法があります。
立ち姿のままで、

シャワー・水療法

43度のお湯を、2分から3分間左右の脚を交互にかけます。

次に20度の冷水シャワーで20秒間同様にかけます。

脚に温冷刺激を与えることで、
副交感神経系を優位にすることで、ぐっすり眠ることができます。

 

 

 

 

 

 

イチロー・カワチによる健康格差論/健康格差をなくすには

日本人教授イチロー・カワチ・健康格差と経済格差

 

イチロー・カワチ 命の格差

ハーバードで世界が注目する授業・イチロー・カワチ教授による
健康格差論。

 

今、格差が日本でも目に見える形で現れてきています。
格差はストレスを生んで、信頼や絆を壊して、命をも縮める。

日本の長寿を支えてきた格差が少ない、結束の固い社会は、
現在は、所得や教育、労働、などで格差を生んできている。

 

格差の感情は、絶望感を生み、人の心から希望をなくしていく。

 

こうした格差は、健康の格差となって、社会問題となっていく。

経済格差を縮める努力は必要なことですが、
それだけでは、健康への格差がなくなるわけではありません。

 

 

絆を分断することへ経済格差が要因となって、
人間関係に溝ができて来ます。

 

ソーシャル・キャピタルを強化することで、
人との絆が出来てきます。

 

個人で努力することは必要不可欠として、
社会でもサロンのような「場」も設けていくことが
人間を孤立させないことにつながっていきます。

 

結局は、他人だけの不幸はないし、
自分だけの幸福もありえないということ。

 

社会が、個人でもそうした、本来の人間が今まで
生きてきた集団として生きながらえてきた「知恵」を
ブッタ切った社会では、人は孤立していくだけです。

 

しかし、人は、一人では生きていくことはできません。
集団として生きていていく社会的存在なわけです。

 

偏った個人主義からくる、個人の責任、いわゆる自己責任論
へといく社会は、生きづらい社会へと変化していきます。

 

そうならないためにも、絶望を生む格差を人との絆で
乗り越えていくためにも、サロン的「場」を設けていくことに
行きつようになるでしょう。

 

社会の中で分断された個人が増えていくと、
不安の解消をするためには、コストが大きくなってきます。

 

そうなると社会自体がもたなくなるので、
人類が営々と築いてきた集団の中で生きていくための、
知恵として、ソーシャルキャピタルに行き着くように
なると思われる。

 

 

 

 

 

長崎の平和祈念像を制作した彫刻家・北村西望氏の生涯の師とは

長崎の平和祈念像 造った・北村西望氏の生涯の師

 

長崎平和祈念像

 

長崎の平和祈念像を制作した北村西望氏。
生涯を通して努力という自らの姿を通して多くの人に
影響を与えてきました。

 

エピソードとして、制作当初は、平和への無関心、
さらに中傷に変わった。曰く、「裸体はだめ、金の無駄等」

それでも制作を続けると、世論は変化していった。
署名運動も起きて、9.7メートルの巨像が完成した。

 

北村西望氏の残された言葉に含蓄があります。
「わたしは天才ではないから、人より五倍も十倍もかかるのです。
いい仕事をするには長生きをしなければならない」

 

 

もう一つ、カタツムリの事。

たゆまざる 歩み恐ろし カタツムリ」座右銘

カタツムリ

 

北村が自分の制作した平和記念像を見にいくと、足元に一匹のカタツムリが
いた。夕方もう一度像の前に行ったとき、なんと、そのカタツムリは
九メートルもある像のてっぺんに登っていたではないか。

 

カタツムリのあの歩いているんだか、動いているんだかわからないような
気がするけれども、いつのまにかてっぺんまで登っているではないか。
北村西望氏は感動したという話です。

 

持続のエネルギーの驚きを見た北村西望はそれ以後、

カタツムリを生涯の師としたということなのである。

 

天才である人が、偉大な仕事を残すわけでもありません。
努力、継続、の中で自らの信念を貫くとき、
周りが、無関心、中傷、そして尊敬へと変わっていったんですね。

 

日々の継続、毎日毎日の積み重ねを続けていくと、
ときに、カタツムリのような、最後には登りつめていくことが
出来るということでしょうか。

 

世の中、簡単、便利で、なんでも手に入るようにはなりましたが、
自分の能力、力量を伸ばし蓄えていくには、

地味な自分との格闘があってこそのものが多いというのも
世の中の常というものです。

 

 

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人は関係性の中に生きている

人は関係性の中に生きている

 

生き心地の良い町

 

岡壇さんという人の書いた本に、「生き心地の良い町」
があります。

 

日本の自殺希少地域における調査研究結果の本ですが、

次の箇所にはちょっと驚いた語句(フレーズ)があります。

 

人が生きていく上で行きにくいと感じられるのは、
その前提が、
・みんな同じ
・みんな違う
・・・・・によって分かれるというものです。

 

普通というか一般的には、みんな同じという前提の方が
生きやすいのではないか、また、みんなと同じというのが
平等・公平であるのではないか・・・と。

 

しかし、違うのです。
みんな同じ・・・から出てくるのは、表に出し難い。
同じであることに焦点があたっているから。
返って、息苦しくなる。

 

一方で、みんな違う・・という立ち位置と感覚をもっていると、
違いイコール「差」にお互いに寛容となるというのです。

 

岡檀の名言から言葉:引用

 

日本で最も自殺の少ない町
(海部町)に潜在する自殺予防因子を

見つけたくて調査を行ってきた。

 

結果、際立って強く表れている五つの特長が
自殺を抑制しているとの結論にいたった。

 

その五つは、
一、異質への寛容。
(自分と違う考え方を排除しようとしない)

 

二、人物本位の他者評価。
(肩書や容姿で判断しようとしない)

 

三、有能感。
(自分への信頼感)

 

四、弱音を吐け、適切な援助希求。
(困ったことを気軽に話せ、気軽に援助を
求められる環境)

 

五、緊密過ぎないゆるやかな絆。
(隣人とは立ち話や挨拶程度のつきあいを
保つ傾向がありどちらかといえば淡白なコミュニティ)

 

 

お互いの「差異」に寛容でいること、
困ったらその事実を表に出せということ、
そして、ゆるやかな絆ということ。

 

日本人は、よく右向け右、長いものには巻かれろ
または、権威には弱いとか言われてきました。

そこには、「個」としの自由もなかったわけです。

 

だが、岡壇さんがいう、自殺率が低い町に共通する
因を見てみると、「個」に対するゆるいつきあいであり、
寛容なのです。決して無理強いをしていない、
むしろ、その人にまかせている場面が多い。

 

人は、生きやすいのは、その「関係性」の中に
生きやすさがあるのではないか。

関係性をコミュニティーと訳してもいい。

 

 

例えば、災害にあっても皆、それぞれ違います。
被害状況そのものがまず違うでしょう。

 

さらには、その復興へのバラツキは皆「差」があります。

そのときに、みんな同じ・・・というのが前提だと、
その前提に囚われてしまって、多くが苦しむことになる。

 

そうではなくて、みんな違う・・・。
これが前提だと、受け入れる側も違って当たり前という
意識が、違っても少しもおかしくないという心がまえで
いられるというものです。

そのことを差異への寛容と言っているのではないか。

 

 

金子みすゞの「わたしと小鳥と鈴と」から

「わたしが両手をひろげても、 お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥はわたしのように、 地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、 きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴はわたしのように、 たくさんなうたは知らないよ。

鈴と、小鳥と、それからわたし、 みんなちがって、みんないい。」

人は、生きる前提として、みんな違っているということです。

一人として、同じ人はいないということ。

 

 

過去の日本は、個人の自由は許されなかった。
違いを指摘され続けてきたわけで、
その差異へのこだわりが、多くの悲劇を生んできた。

 

こうならなければならない・・・という一種強迫観念
めいたものに囚われてしまったことです。

 

例えば、弱音を吐くことだって、時にはよいこと。
決して前向きではないという認識ではないことを
共通認識することが、今後必要なのです。

 

 

 

 

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