EUにノーベル平和賞ということです。
現状からすると、・・・・????が付きますが、
それでもいままでの平和や和解へ向けた努力というか
やってきたことへの成果に対する評価のようです。
なぜか?いつも平和賞は、政治的なニオイを感じてしまいます。
でもこれはいつも世もしかたないのかもしれません。
それよりももっと大切にしないといけないのが、
より平和になったのか?
より和解へ向かったのか?
実行へと向かったのか?を
評価していくべきと思います。
議論は、時に得てして、議論だけの意見などになりやすいのですが、
それよりも行動で評価するというのが、一番です。
言うや易し、行うは難しですから。
パラリンピックでは、アスリートたちの挑戦する姿に感動しました。
世界中から集まってきたアスリートたちからは、障害があっても挑戦する生き方に感動を頂いた思いです。
人間は障害があっても自分との闘いを真正面から取り組みさえすれば、人に感動を与えることができるということ。
パラリンピックの父・L・グットマンのことばに、
「失われたものを数えるな。
残っているものを最大限に活かせ」
とあります。
本当にそうですね。
できない理由より、できる可能性のほうに挑戦していくことの方が、価値的です。
そのために、自分との闘いと、周りのひとの励ましや激励が、一歩前に進むことができる原動力になると思います。
できない・・・できない・・・と、叫んでみても、なにも現実は変わらないんですから。
現状追認だけの人生より、挑戦して人生でありたいですね。
パラリンピックへの招待―挑戦するアスリートたち
ネットで集客するということ、それは、今ある商品や
サービスをそのままネットで売ろうということではない。
ではなにをどうするのか?
ネットに求める消費者・ユーザー、もしくわ、
検索者への立場にたって、・・・もっと具体的には、
顧客の目線です・・・そうです・・・なにを知りたいのか?
また、なにが欲しいのと感じているのか?ですね。
この箇所を、徹底して考えることですね。
そうしないと、一方的に情報を流しているだけです。
メーカー主導での市場へ商品を出して売れる時代であればいいかもしれないが、
今は、完全なる消費者優位の時代です。
ユーザーに合わせて、適正化するということは、
目線ですね。
米沢藩の名君として知られる上杉鷹山」の政治哲学は、今でも決して古くはないですね。
曰く、「国家人民の為に立てる君にて君の為に立てる国家人民にはこれ無く候」
藩主のために領民があるのではなくて、領民のために藩主がある。ということ。
現在で言えば、主権在民ということでしょうか?
政治哲学としてでも、学ぶべきことは多いはず。
さすが、ケネディの尊敬する日本人としても、有名ですが、今の政治家たちへ、聞かせてあげたいものです。
目の前の損得だけは、人一番感覚がするどいことは、猫がネズミを捕まえるように、すばしこいくせに、
他人の、苦労とか、陰の人の労苦を知ろうともしない政治家には、うんざりしているのが、現状です。
ぶれまくりの政治家には、もう・・・・・君には頼まない。
そういいたいですね。
庶民と、一緒に苦労しなくて、どうして国の将来が描けるのでしょうかね。
通信革命が、人口減少社会とともに、国を大きく変えざるを得ない時代。かつてないほどの経験が、襲ってきているのに、・・・まだ、多くの人は、・・・・のんびりしているように思えるのは、・・・杞憂であって欲しいね。