今、スマートフォンがあって使い方さえ知っていれば、
でいつでも、どこでも求めている情報が手に入るようになりました。

こんな時代は過去になかったですね。
世界は、通信を通して、ひとつの情報を共有することができるように
なったということ。

いいことは、たくさんあります。
人を欲しがっている情報、また悩んでいる問題に対して
解決できる情報をもっている、そうした人に、情報を提供できるようになった
「場」があるのですからね。

音楽でも、自分が必要としているものを、すぐにでもダウンロードできて
いくらでも聞くことができます。

これって、これから先の社会っていうのは、どうなっていくのでしょうか。

記憶する才能や能力なんて、あんまり価値として認められないことですね。

記憶だけが優れている点で、学校の成績が良かった人は、
今後、あまり評価されなくなるでしょう。

試験問題も、暗記を試すような問題もなくなっていくでしょうからね。

タブレット型PCが、1人1台という時代に慣れば、
単なる情報を知っていることには、評価はなくなります。

情報を知るということ、すぐにでも誰でもタブレットを操作すれば
できることになってしまうから。そんな記憶や暗記力を試すようなことは
意味を成さなくなってしまう社会になっているということ。

それでは、社会では、どんな人が評価されるようになるのか。
どんなことが要求されるようになるのか?

仕事でもどんなことが必要となるのか?というと。

ネット社会では便利にするツールの域を超えて来てしまっています。
なぜなら社会の仕組みそのものを根底から変えうる変化があるからです。

つまり全ての人間が同じ情報にアクセスできる状態ということは、
どこまでが自分の知識でどこまでが他人の知識なのかの線引きが難しくなってきます。
ということは、誰でもワードをひとつ打てば同じ答えを出せるわけです。

機械の操作ということもそですが、
それよりも、人とのコミュニケーションとか
問題を書いけるするための道順とか、
いわゆる問題解決能力こそ、求められるようになるのでしょう。

本当に頭で考える人間は必要ですが、その数は少なくてもいいわけです。

でも、単純労働は、必須です。
工場労働者、配達する人、など、どうしても人の手を借りなければ
できないような仕事ですね。それ以外は、ほぼ、機械でできるようになるでしょう。